6月6日の日記

     心を込めて訪問看護の実践で、住み続けられる町にしたい!

 

   今日は朝の4時30分からたまっていた看護記録をタブレットで。

   記録等が終了したのは7時、

   8時30分にミーテイング

   9時から訪問開始。一人暮らしで、いつも訪問すると、泣いていることが多い。

    私はいつも、利用者様の好きなミルクを温め、すぐ飲んでもらう。     

    ミルクを飲んだ後はいつも笑顔になる。足の創部の処置等を実施。

   10時からは、一般状態を状態をみながら、冷たい、手や足を温めながら、

    マッサージ付きリハビリ、トランペットの素敵な音楽を聴きながらの訪問。

     気が付いたら、音楽に合わせて私の手が動いていた。

     訪問終了後は、丁寧に膝をついて、挨拶をする。

     心の中では「ありがとうございました。今週も宜しくお願いします。」と、 

      思っている。

 

     全部の訪問が終了したのは18時30分

    摘便、褥瘡処置、看取りの利用者様の訪問、インシュリン注射の利用者等

    訪問看護の仕事は、多岐にわたる。

 

    一つの看護の技術でも、心をこめ、真心からの看護が一番、利用者様

    家族に通じると考えている。

    

    以前、介護のメンバーに「真心から介護を実践していくことである」と、

    40名ぐらいの前で講義したとき、突然、ある男性の受講生から言われた

    ことがある。

    「先生はキレイごとを話している。現実は介護の仕事は厳しい、だからでき

     ない。」と。

     私はすぐ一言。

    「厳しい業務の中で、利用者様に優しくしたい。真心こめて介護したい。と

    少しでも考えながら介護をしている人と、介護をしていない人では、

    やがて雲泥の差が出る。」と、みんなの前で話したことがある。

     それから、この男性の職員は私によく声をかけるようになった。

     最初からあきらめてはいけない。少しでも良いから笑顔で、利用者様の

    お世話をして、利用者様からいろいろなこと学ぶ謙虚さをもって、介護、

    看護を実践していった時には、相互作用が働き、良い関係が構築できると

    私は思っている。

 

    訪問看護の仕事も、疲れる時があるが、頼られることは嬉しい。

    この考えで、少しづつ、住み続けられる町づくりを実践していきたい。

 

     余談であるが、6月4日に上毛新聞に

    「あの日のオルガン」の映画の上映が掲載されていいたため、やっと

    時間を作り、映画鑑賞した。実話だった。

    戦争中に子どものいのちを守るために、東京から、埼玉の熊谷のお寺で

    疎開保育園を創設し、実践し、53人の子供のいのちを命がけで守った

    保育士の方々の様子を上映されていた。

     保育士の方々の、強い使命感、言葉では言えないほどの苦労、信念の強さ。

    その時代に、子供のいのちを守り切ったことを知って、感動し、涙が止まら

    なかった。

      私は、この激動の時代に少しでも、なにができるか考えながら映画を

    鑑賞していた。

      目の前の、一人一人のいのちを守っていきたい。私のやり方で!

                  

                       関根京子