4月10日の日記

      自分自身の訪問看護の役わりを果たし

              自分自身の花を咲かせいきたい!

 

      私は精神科専門の医師でも、在宅で看取りができると考える。

    内科の医師も、難病の利用者様、がん末期の看取りをすることができると 

   考えている。でも、某病院の医師は、神経内科の難病専門の医師は「専門が

   違うため、がん末期の看取りはできないのではないか。」と考えている発言を

   伺ったことがある。

     訪問看護師は、医師の力を借りて、それぞれが利用者様、ご家族様の

   意向に沿って見取りや、介護がスムーズにできるようにしていきたい。

   訪問看護師の大事な役割ではないかと、私は考えています。

 

     先日、あるケアマネから「関根さん、息子さんが精神科の医師で、父様が

    がん末期である状態です。このケースは、どうしても最期まで、家で過ごす

    ことを利用者様は望んでいると思う。家族はどうすることが一番良いか、

    まだ、方向性が決まっていない。訪問看護を受けてもらえましか?」と相談を

    受けた。

      私は、このお父様の看取りを、この家族にとって、少しでも良い方向に

    迎えるようになる看取りを考えた。家族の意向を何回も、丁寧に伺いながら、

    少しでも後悔のない看取りを考えた。

      それは、精神科医である息子さんが、主治医になって、最期まで可愛い

    お孫さんと最期まで、住み慣れた家で家族と過ごすこと。そして、息子さんは

    最高の親孝行をすることができる。精神科の医師でも、がん末期の利用者様を

    看取ることをできるように訪問看護師として、役割を果たすと決めた。

 

      このケースは15日間の家族全員で、お父様の介護に全力で取り組んむこと

    ができた。私が一番助かったのは、この医師のお嫁さんが元看護師で、

    全面的に看護を頑張ってくださった。認知症の義理のお母さんも介護しなが

    ら、家族の力がすごかった。

      3月末にお亡くなりになった時、私は二つ気づいた。

      一つは、精神科医である息子さんが、最期まで在宅で介護できた時に

     以前よりも誇らしい表情をしていたこと。素敵でした。あの表情は忘れ

     なれません。私は大切に頭に残しておきます。

      二つ目は、認知症である妻が話していた言葉。

      「こんなにきれいな素敵な、最期の人生の終わりがあるの!」と。

      羨ましそうに、明るい表情で話していることが印象的でした。

     

     令和4年度もしらゆり訪問看護ステーションは、地域の住民のために

     訪問看護の役割を果たしてまいります。

     これからですが、会社としても年間目標、個人的な目標と、昨年の振り

     返りをしながら取り組んでまいります。

 

      最近は、重度障碍者の方から「関根さんのところで、働かせてください

      ませんか?」と、言われました。人間的にも素晴らしい利用者様です。

      雇用を一緒に考えて、体力的にも無理のない仕事場が見つかるように

      動いていきたいと思います。

        補助金と使って、雇用を少し考えていることを、利用者様にお話し

      したら、思わむ言葉が返ってきました。

        「関根さんが、考えてくれているだけでもいいんです。」と、

       彼は、満面の笑みで私に話したのです。

       彼を見て、いろいろな悩みを乗り越え、生きてきた人は、

       心底、心が強いし、優しい心の人である。

       彼に、彼の彼女に、少しでも訪問看護師として役割を果たしていきた

       い。

        私の息子(理学療法士)は、彼の車の運転技術を4月9日確認して、

       一緒にランチをしたようです。

       障害、難病を持っていても、そこから、少しの希望、やりたいことを

       一緒に探していきたいです。

      

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                           関根京子